ギタリストがピックを投げる文化について考える

※お断り

本文は2019年11月30日の打首獄門同好会×氣志團の対バン直後に書かれたもので密密放題モッシュダイブ上等なライブハウスを前提に書かれています。

アップするまでにかなり時間が空いた事など含めて諸々ご了承ください。

*****

ギタリストがピックを投げる文化について最近少し考えている。

というのも先日打首×氣志團の対バンライブを観に行った折、氣志團のギター西園寺瞳さんが折に触れてカッコ良くピックを投げていらしたからだ。

背が高くて舞台映えする西園寺さんの指先から放たれるピック。

盛り上がるフロア。

アレはカッコいい。

カッコいい文化だ。

以前、筋肉少女帯のライブを観た時もギターの橘高さんと本城さんがピックを投げていらした。

特に橘高さんはピックを投げるというよりも花弁を散らすように盛大に撒いてらして、それもまたキャラクターと相まってカッコよかった。

対してピックを投げないギタリストもいる。

それはそれで一種のストイックさを感じて好ましくも思えるのだが、あちらの界隈は投げがちなのにあの界隈は投げないよなーなどとと思いを馳せている内にその違いが気になったのだ。

 

ところで「ピック」って何?という方にご説明申し上げると撥弦楽器を演奏する為の小型の道具を概ね「ピック」と呼びます。

本稿で言及するのは主にエレキギターエレキベースを弾くための三角形のおにぎりみたいな形をした薄い板状の「ギターピック」についてです。

 

さて、ピックを投げる界隈と投げない界隈、なんとなく頭の中に思い浮かべて思い至ったのがこちら。

「専業ギタリストは投げがちだけどギターボーカルの人はあまり好んで投げない説」

そもそもギターソロ終わりとかボーカルの見せ場などギターが若干手隙の時にギタリストはピックを投げる訳ですが、歌を歌いつつギターを弾きつつ次の展開を考えつつMCまでこなす…となるとピック投げてカッコつけてる場合じゃ無いのかもしれません。

とはいえ、ライブ中に投げないんならライブ終わりに投げてもいいんじゃない?と思わないでもない。

実際投げる人もあろう。

 

という訳で次に思い付いたのはこちら。

「フロアが激しくわちゃくちゃになるタイプのバンドは投げない説」

つまり、モッシュダイブ上等なフロアにピック投入したらピラニアの群れに生肉投げるようなものでえらい事になりそうだから投げられない、というパターン。

これはまあありそう。

かの有名な日本武道館は混乱を防ぐためステージから物の投げ込み禁止らしいですからね。

暴れん坊が多いフロアであってもまずは安全第一。

いくらフロアを沸かせたいといっても怪我人騒ぎで沸くのは本末転倒。

下手すりゃバンドが出禁になっちゃいますもの。

そういうの大事。

万事ご安全に。

 

さて、ピック投げを行うギタリストが所属するバンドをツラツラ頭の中で並べてみるとなんとなく興味深い共通項が浮かんできた。

若い内に売れているのだ。

という訳で思い浮かんだのがこちら。

「経済的理由説」

身も蓋もない。

世知辛い。

いやでも「ギターピック」でググって頂くと分かるんですけど、底値が大体一枚20円ぐらいなんですよ。

一枚20円って安いように思えるけどうまい棒2本分ですからね。

それに人前で演奏するような人のピックは一枚70〜150円辺りが相場だと思われるんですけど、それをライブで毎回何枚か投げるって地味〜に負担になりそうな予感がするんですよ。

若い内に売れてワンステージ1000円も掛からない物に目くじら立てるような事はしない人ならばナンボでも投げると思うんですけど、小劇場芸人・小劇団俳優・地下室バンドマンというのは貧乏の代名詞みたいなもんじゃないですか。

食費光熱費交通費など諸々支払いに窮する事もありつつたった15〜20分のステージに上がるために頑張って働いてノルマを支払って(駆け出しのバンドマンは箱に出演料を支払うんです。貰うんじゃなくて支払う。詳しくは「チケットノルマ」で検索。)そんなバンドマンが大事な商売道具=必要経費を投げる…そんな勿体ない事するかい!…という精神がそこそこ売れても残ってる人はいそうだしそういう人は投げないだろうな、と。

逆に強い憧れがある人は反動でめちゃくちゃ投げるようになるのかもしれませんけどもその辺りは私のような素人が窺い知る事もできない所です。

 

あとアレですね。

「客入りの良くない地下室での下積みが長すぎたらもう投げないというか投げられないよ説」

考えてみて下さいよ。

客入りもあまり多くないライブのフロア。

友人知人対バンがお義理の最前列で盛り上がってくれる。

そんな客席に向かってカッコつけてピックを投げても投げたピックは奪い合われる事もなく床に落ち、関係者が気を遣ってそっと拾い上げられる。

場合によっては気を遣う関係者すらおらず床に落ちたピックはそのままに次のバンドの出番になり忘れ去られ、閉演後ゴミとして廃棄の憂き目に………ツラい。

想像するだけでかなりツラい。

繊細なバンドマンだったらこんな状況耐えられないんじゃないか…。

心折れてもうピックは投げないと誓う…そんな人もいるのではないか。

対して若い内に人気がガンと出て小箱ながらもそこそこの動員数を稼げてキャーキャー言ってくれる固定ファンも付いていた、という界隈はお金の掛からないファンサービスの一環として積極的にピック投げするのではないかと思うんですよ。

逆にお客さんとの距離がガッと離れてしまうような超大箱(例えば武道館とかドームとか)に一足飛びに行っちゃった人は投げ辛い気がしますよね。

物理的に。

お客さんまで届かない…みたいな悲しい事態になったらお互い不幸だし。

客に届く勢いで投げて目に当たったのなんのと事故になるのもまた困るし。

その規模になると別の方法で物を降らすとか発射するとかもできるし。

 

あとはもう考え方の違いですよね。

ミュージシャンがピックを投げて喜ぶのは運の良い極々一部の人間な訳で、フロア全体がそれを良しとするか?という根本的な問いに対する考え方の違い。

自分の大事な道具を投げるという行為に対する考え方の違い。

そして費用対効果をどう見るか。

 

ところでピックって投げてどれぐらい飛ぶもんなんでしょうね?

平たくてある程度の硬さのある物体はそこそこ飛ぶっていうのはトランプ投げを練習した事があるので分かるんですけど、アレ飛ばすのに結構鍛錬が必要な気がするんですよね。

舞台の上から万来のオーディエンスへ向けてカッコよくピックを投げる為に自宅やスタジオで地道に練習している姿を想像すると…ほのぼのとした可笑し味としみじみとしたエモさがありますね。

知らんけど。

 

何はともあれピックを投げるも個性、投げないも個性。

板の上に立つ人は等しく舞台の上が一番輝いている。

という雑な結論を投げて本稿の〆とさせて頂きます。

ありがとうございました。

【日記】2018.3.11 打首獄門同好会at日本武道館

その日、私は出遅れていた。

朝の段階で既にかなりの人がグッズ販売に向けて並んでいるという情報はツイッターのタイムライン上に続々報告されていたが、流石に物販開始時刻に並んでいればお目当ての品は買えるだろうと若干楽観的に構えていた私はさほど慌てる事もなく、夫と子を連れ立って車で目的地へ向かった。
自分の読みが甘かったと気付いたのは目的地・日本武道館正面に到着したまさにその時だ。

北の丸公園の駐車場は満車だったが随時入れ替わりもあり、多少待てば入れそうな雰囲気だった。
物販待ちに時間が掛かりそうだからと夫子供を車に残し、私だけ先に武道館へ向かったのは今思えば賢明な判断だったのかもしれない。
ウキウキと公園を抜けて特徴的な八角形の屋根が見えた高揚感、と同時に感じる違和感不安感。

人が多過ぎるのではないか?

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建物西正面には間違いなく「打首獄門同好会at日本武道館」という実にシンプルなタイトルが掲げられている。
が、その公演タイトル看板と威風を誇る「武道館」の朱看板の間に立っている人たち、あれは何だ?

もしや物販列か?

さっき通った時計塔の下にも結構な人数がとぐろを巻いていたけれども、あれもまさか物販列か?

いやまさか、ね。

それにしても人が多過ぎる。

前日、大澤会長がツイートした武道館手書き地図を頼りにグッズ販売会場前へ到着したのは、販売が前倒しで開始する12時45分の少し前だった。
最後尾が見えない行列に唖然としているとスタッフと思しき方から声を掛けられる。
「物販ですか?最後尾は向こうです。」
言われるがままフラフラと指し示された方へ向かうとそこは田安門だった。

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田安門。
国の重要文化財、田安門。
かつて田安大明神があった事に由来しその名が付けられた田安門。
その威風堂々たる門構えの外にまで伸びた打首獄門同好会グッズを求める人、人、人。

人が、多過ぎるよ

「物販、最後尾はこちらでーす。二列に並んでお待ちくださーい。」
スタッフが繰り返し唱える呪文に吸い寄せられるようにドンドン伸びる人の列。
促されるまま私もその一部になった。
ほどなくして列は動き始めたが短くなるどころかむしろどんどん長くなる。
ここに並んでいる人達は開場時間までにお目当の品を入手して会場入りできるのか。
鈍感な私もさすがに不安になってきた。
…いや、大丈夫。
開場時間までまだ時間はたっぷりあるし。
少なくとも私は大丈夫。
…の、はず。
多分。
粛々と列は進む。

田安門を潜り抜け武道館北西階段の手前に着いた頃、夫から車を駐車場に入れて武道館へ向かっているとLINEが来る。
「物販がまだまだ掛かりそうなので、子供と2人先に昼食をとって欲しい。九段下駅周辺に飲食店があるはずなのでよろしく。」
と返信し顔を上げて気付く。
この列やっぱり階段上がってるよな、と。
やはりあの2階テラスに連なる人々は物販待機列だったのか、と。
そうするとあの時計塔の下の人々も…。
まあそれは仕方のない事と気持ちを切り替え、暇なので辺りを見物したり写真を撮ったり周囲の会話にそれとなく耳を傾けたりお友達と思しき人が物販列最前グループから手を振ってくれたので振り返したけど双方認知したと気付かず互いの存在をDMで確認し合ったりと長閑に時を過ごす。

列は少しずつ動き武道館北西の階段を昇り朱塗り金文字の武道館看板にご挨拶、北西→西→南西と列は粛々と進むけれども行列の折り返し地点は一向に見えて来ない。

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ところで日本武道館は正八角形の建物である。
それぞれの辺に八方位の名前が付いていて「西」が道に面し看板が掲げられた正面にあたる。

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2階テラスに通じる階段は北西、南西、南東と三方向に付いていて、グッズ販売会場横の北西階段は2階テラスへの入口であると同時に2階テラスからグッズ販売会場入り口へ通じる出口でもある。

スマホなどを駆使して暇を潰しながら歩みを進めるが、時の流れも列の流れも大陸を流れる大河のようにゆっくりだ。

…割とツラい!
コレは何の修行だ?
いつ売り場に辿り着くの?
っていうかこの列折り返しどこ?!!

長い待ち時間に心がささくれ立ってきたところで突然武道館がドン!と鳴動した。
メンバーによるリハーサルが始まったのだ。
ドラム、ベース、ギターとそれぞれ音を確かめるように奏でられるのに次いで音と声が重なるアンサンブル。
何も無い状況で待つのはツラいが大好きなバンドの音が聴けるならば話は別だ。
たとえそれがリハーサルの音漏れだとしても。

打首獄門同好会のリハーサルは音漏れから察せられるほどの爆音だった。
重いバスドラムが鳴るたびに武道館のガラスがビリビリと音を立てて振動するのを真横に感じて、思わず「おぉ」と小さな声が漏れた。
演奏はもちろんメンバーの声も意外と明瞭に聴こえる。
聴こえてくるのは打首獄門同好会の曲の中でも定番中の定番と言えるライブナンバーばかりで、下がりきった自分のテンションが上がっていくのが手に取るようにわかる。
周りを見渡せば私と同じように音漏れに耳を傾ける人々が、スマホを弄る手を止めたり軽く縦揺れしたり軽く頭を振ったり歌を口ずさんだり、それぞれが思い思いに楽しんでいるようだった。

そうこうしている内に武道館北西から2階テラスに昇った物販列は、建屋をぐるり半周して南東で折り返した。

善男善女が黄金の擬宝珠を戴く八角堂に集いその周囲を巡礼している。これは修行である。悟りを開く為の修行である。ありがたいなぁ。
…と、疲労で若干おかしくなっていたとしか言いようのない天啓を受けつつ列は進む。

折り返し後の待機列ルートも一筋縄ではいかない難物であった。
前進に上下動が加わったのである。
先ほども書いたが武道館は2階テラスに通じる階段が北西、南西、南東と三方向に付いている。
物販会場横の北西階段は置いておいて、問題はその他2箇所の階段だ。

南東折り返し直後の階段と南西の階段では列を一旦地上に降ろし、階段下にある広場に列を蛇行滞留させた後また2階テラスに上げる、というオペレーションが行われていた。
列の最後尾をあまり武道館本体から離さない為の処置である事は理解できたが、四十路の鈍った身体に階段昇降はビシビシ響く。

まさに修行。
まさに巡礼。
ありがたいなぁ。

我々が修行を積んでいる間にもリハーサルは粛々と行われていたが、私が南西の階段を降りた頃ちょっとした事件が起きた。
その時リハーサルしていたのは「歯痛くて」。

www.youtube.com

どんな曲かはMVがあるのでそちらを観ていただくとして、Aメロ大澤会長のアカペラパートで列に並ぶ人だけでなく武道館前にたむろする打首獄門同好会ファンが同時多発的に「パパンがパン」と手拍子を始めたのだ。

このパートでの観客の手拍子はライブではお馴染みの光景だが、会長の歌声があまり聴こえない中、全員が勘を頼りに手拍子を打ち、ぁヨイショ!と合いの手を入れる猛者さえ現れるというちょっと面白い光景。
それぞれ長い待ち時間を、多少なりとも楽しく過ごしたいファンの思いが一つになった瞬間だった。

その頃夫から「お昼ご飯を食べ終わったので武道館へ戻るけど、何か欲しい物は無いか?」とLINEが入る。
簡単に食べられるような物と飲み物をお願いしてふと横を見るとチケット早期予約特典の引き換え窓口が空いているのが目に入った。
恐らくグッズを手に入れてから引き換えようという腹積もりの人が多いのだろう。私もそんな算段だった。しかし空いているうちに引き換えるに越した事はない。
夫に私の待機場所を伝え、私が持っているチケットを渡すのでこちらに向かって欲しいと伝える。
程無くして夫が子供を連れてやってきたが不思議顔でここは何の列なのか?なぜこんな所に並んでいるのか?と問うて来た。
質問の意味が分からず聞き返すと「だって物販向こうでやってたよ?」と。
グッズ販売会場は武道館北西階段下の広場、私がいたのは武道館南西階段下の広場、たしかに距離は離れているが私が1時間少々並んでいるのが物販列で無いとしたらなんの列なのか。
「コレが物販列だよ!
列に並んで武道館の裏の方まで行ってぐるっと回ってきたんだよ!
ここにいるみんな物販で並んでるんだよ!」
と思わず声を荒らげてしまった。
血相を変えた妻の様子に事態を察したのだろう、少し気まずい表情で「ご苦労。」とひと言、夫は私に飲み物を渡し私の手からチケットを受け取ると窓口へ向かって行った。皆の注目を一身に浴びさせてすまんかったな夫よ。しかし妻は気が立っていたのだよ。
しばらく地面を蛇行した列は再び2階テラスへ上がる。

周りの人々がおもむろにタブレットスマートフォンを取り出して操作し始めるのを見て、そういえば10獄放送局特別編の企画発表があるんだっけと私もいそいそとスマホを操作する。
定刻通り10獄放送局 企画発表編がスタート。


打首獄門同好会「10獄放送局」企画発表編

昨年の3月、新木場STUDIO COASTワンマンで武道館公演までに行うと宣言した4つの公約の達成状況報告から始まった企画発表は、四国のフェスに出演できなかったために「日本全地域のフェスに出演する」という公約が果たせていないと判明。
という訳で四国でフェス的な事をすることでそれの代替としよう。
四国全土でフェス的な事はなんだ?
お遍路だ。
という無茶苦茶な論法により、大澤会長と盟友・アシュラシンドローム青木亞一人氏が四国八十八か所を巡礼すると宣言して企画発表は10分少々で終わった。
本編は開場と同時に武道館内と特設サイトで上映が始まる。

乱暴だ。
乱暴にも程がある。
ただでさえ四季CDリリースだ47都道府県ライブだ武道館の準備だで多忙だったのに、よそのバンドの人を道連れにして八十八か所廻ったのか大澤会長よ。
そしてどれぐらいの日程で廻ったのかは発表されていなかったけれど、最低でも4日は掛かっているであろう旅程を開場から開演までの時間=約1時間尺にまとめたのか。
映像ディレクターのチダさんもさぞ大変だったろうに。
いやあ乱暴
早く本編が観たい。

完全に10獄放送局大澤マジックの術中にはまりながら、列は武道館の朱看板の下を再び通過。
北西階段を降りてTシャツの見本が見える位置にやって来た頃には物販テントから「○※☆の×サイズ売り切れでーす!」という不吉な言葉がいくつか聞こえた。
聞こえたが聞かなかった事にして、夫とLINEで購入する物を再確認。

いざ売り場へ。

が、やはりお目当のモノが半分くらい売り切れで、とりあえず後日通販できるものは後回しに、限定モノを中心に購入してグッズ販売会場より離脱。
レシートをよく見るとタイトルが特別仕様になっていて可愛い。

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時計を見れば15時30分。2時間半以上はたっぷり並んでいた事になる。

お疲れ皆さん。お疲れ自分。

グッズ販売会場出口で物販開始直後にDMで存在確認しあったお友達とバッタリ遭遇し「今まで並んでたの?!」と心底気の毒がられる。
…押忍。

夫子供とようやく合流して買っておいてもらったおにぎりを胃に押し込んでちょっとひと息。
そういやお花いっぱい来てたなー。あとで確認しようかなー。
などと考えていたけれども私に「あとで」は永遠に訪れなかった。
開演前は開場の案内が始まってしまい花どころではなく、終演後は花の事は失念して一家三人ふわふわと帰路についてしまったからだ。
帰宅後、ほかの方が上げているお花の写真を見て、初期メンバー高山明さんからのお花は見たかったなと思ったが詮無き事である。

開場時間と同時に10獄放送局特別編が場内で上映開始する事、そして私の足が限界に近い事などあり早々に席に着きたかった我々一家3人は、「スタンド席の方はこちらの立て看板を持った者に付いて行って下さい」という案内に付き従い開場を待った。
係の人にチケットをもぎって貰い中に入るとそこは武道館だった。
…いや当たり前なんだけれども。
事前予習として各種資料映像で確認しまくったのと同じ風景がそこには広がっていた。
擂り鉢状の日本武道館は思ったより狭く感じた。
人が入ればまた印象も違うんだろうな…などど感動する間もなく我々は移動を開始した。
武道館スタンド1階席の入り口は西の正面。
私がご案内された席は一階東、向正面である。
ぐるり180度移動しないと席はない。
映像も見たい。
我々は急ぎ足で席へ向かったのであった。
なおステージは北側に作られ南がステージ正面になる。

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席へ向かう道中ステージをチラチラと確認すると、メンバーの立ち位置の後ろに大きなLEDパネルが3枚立っていて真ん中のパネルで10獄放送局本編が上映され、両端のパネルで今回の企画に至る経緯が簡潔に説明されていた。

昼の野外フェスに初めて出演するにあたり、普段ライブハウスで使っているプロジェクターでは照度が足りず日光に負けてしまうが照度の高いLEDパネルはレンタル料が高くて借りられない。
どうしよう。
よし、自分で作ってしまおう。

と恐ろしいDIY精神でLEDパネル(通称クララ)を自作して持ち運んでいたバンドが数年後、こんなに大きなLEDパネルを3枚も立てた空間でライブをするなんて考えもしなかったなと少しエモーショナルな気持ちにもなる。

我々に与えられた席に到着すると、座面下のポケットにフライヤーと特製パッケージのうまい棒を入れた袋がセッティングされていた。

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後日この日の出来事を検索した際に「座席一つ一つにうまい棒配置するなんて大変だったろうに!」と感動している方がいたが、座席指定のあるホールコンサートでは各座席にフライヤーが置かれているのが普通であり、打首の場合フライヤーにうまい棒が加わっただけである。
そういえば、たまにライブorアーティストスポンサーからのノベルティがフライヤーと一緒に入っている事もあるけど、アーティスト本人からの賜り物はあんまり無いなとうまい棒を眺めつつ思った。
「座席にうまい棒がセッティングされていたら察してください」
と以前会長が言ってたっけ。
なるほどOK会長、察しました。
「デリシャスティック」の曲前にうまい棒を配布するには武道館のスタンド席は広すぎるもんね。
でもアリーナの人にはどうするんだろ?事前配布?という疑問を横に置きつつ(正解は曲前配布)席に着いてフライヤーをチェックする。

フライヤーの一番上に打首のグッズパンフレットが入っていた。

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このグッズパンフがコート紙フルカラーA3二つ折形式なのを見て、私が初めて打首のライブを観にライブハウスへ行った時の事を思い出す。
3年ぐらい前だろうか。
あの時はあす香さんが手書きしたと思しきライブスケジュールを普通紙にコピーしたフライヤーを配布していたっけ。
VJはステージに立っておらず、物販にはjunkoさんが立っていた。
それがこんな立派なグッズパンフレットを作ってもらえるようになって、大きな企業とコラボヘッドホンまで…。
大きくなられたなぁ。
しみじみとした気持ちで目を上げると大きなLEDパネルの中で四国の細く狭いクネクネ道にやられる大澤会長とアシュラシンドローム青木亞一人氏。
そこは普段通り。
あまりの馬鹿馬鹿しさに涙も引っ込もうというものである。

ところで、我々一家三人にご用意された席は東一階の最前列、舞台とアリーナ柵の間の通路辺り。
つまり舞台のほぼ真横である。
なので演者はまあまあ近い距離なのに横顔しか見えないが、舞台装置とスタッフはよく見える。
ステージ前上手と下手に筒状の怪しげな装置がセッティングされているのを見て「銀テープが来るかも!」と夫に興奮気味に話したが「こういう会場で火器は使えないんじゃないの?」と全面否定される。
何言ってんだ。こういう大舞台では銀テープばーんが常道でしょうよと私は思ったが、結果的に銀テープは来ず、「TAVEMONO NO URAMI」で篝火「きのこたけのこ戦争」で火柱と火器はバンバン使われ、我々夫婦の予想は大外れもいいところであった。
そんなとるに足らないことをパーパー言いながら、我々は開演を待ちわびていたのだ。

画面の中では大澤青木両名が無事八十八か所巡礼を終え、10獄放送局特別編は開演時間を少しオーバーして終了した。
客電が落ち、武道館公演の為に誂えられた曲(春盤収録はじまりのうた)と映像が流れる。
昨年新木場STUDIO COAST日本武道館公演の発表があった際、武道館までの1年で成し遂げると掲げた4つの公約がいかに達成されたのかを憂いを帯びたサウンドで歌い上げ、4つの篝火を灯す曲だ。

~かくして時は流れ約束の日は訪れた
 さあ、あの日に約束した宴を始めよう~

と曲が〆られると弾けるようにいつもの出囃子、バックドロップシンデレラ「池袋のマニア化を防がNight」のイントロが大音量で流れる。
いつも通りにメンバー・VJが登場してそれぞれ持ち場へ着き、客を煽る。
待ちに待った瞬間に会場が一斉に沸き立つ。
私も拳を突き上げる。
けれどもどこか少し冷静な自分が高揚する気分に水を差す。
あまりにもいつも通りで既視感がある。
目の前の光景は今まで見た事のないもののはずなのに、過去2回参加したワンマンライブと比べてしまう。
ライブ用の特別な映像が開演前から上映され、終わったら「マニア化」が流れメンバーが登場しライブスタート。最初の曲は多分「DON-GARA」だろう。
お約束があるのは悪い事ではない。
ルーティーンがあるのはバンドにとっても客にとってもエンジンを掛けやすい。
ただ少し戸惑いがあった。
全てが、あまりにもいつも通りに見えたから。

予想通り口開けの曲は「DON-GARA」で、アリーナでは何十人ものダイバーが人の上を転がっていくのが見える。
目に飛び込んでくる風景はとても激しく楽しいのに、素直に楽しめない自分に私はすっかり落胆していた。

しかし次の曲のイントロをドラムが刻み始めた瞬間、そんな気分は一気に吹き飛んだ。
「音楽依存症生活」。
2013年に発売された「一生同好会します」というアルバムの一曲目に収録されているこの曲は、音楽依存症の我々は音楽から力を貰って様々な世の憂き事をやり過ごしているという内容の、打首のナンバーの中では割とシリアスな曲だ。
私は、シリアスなのにどこか高揚感のあるこの曲が大好きだ。
しかし最近のライブの定番曲とは言い難く、私はライブで聴いたことが無かった。
さらに武道館公演前に読んだこちらの名文の影響もあって、今回の武道館で聴けたらいいなと思っていた曲だ。
全身から力が抜けるほど嬉しかった。
本ライブでの「音楽依存症生活」は2番のBメロを武道館公演用に歌詞を少し変えて歌われた。

~体が勝手に踊り出したがる衝動を抑えてきたんだろう?
 イヤホン付けてボリューム上げて『ライブハウス武道館へようこそ』!~

そうだとも。
体が勝手に踊り出したがる衝動を抑えた善男善女が行列している様を、私は先ほど武道館の外で何時間も見続けていたしなんならその一員だった。
待っている人たちは新しい目のバンドTシャツパーカーの人が多かったけれど、私があなた達を知る前に売っていたバンドTシャツやパーカーを誇らしげに着ている人を何人も見掛けて羨ましかったよ。
年代もバラバラで、ウチみたいな子供連れ親子から年寄り連れの親子までいたよ。
老若男女、みんなキラキラした顔でこの日この時を待っていたんだよ。
踊り出したがる衝動を、できるだけ抑えて。
…抑えきれなくてみんなで手拍子はしたけども。
そして「ライブハウス武道館へようこそ」というアラフォー以上のロックファンにはお馴染みのフレーズ。
BOOWY以降ここ武道館でライブを行った邦ロックバンドは必ず擦ったであろうこのフレーズ。
今となっては時にギャグのように使われてしまう事も多いこのフレーズ。
正直、手垢がベタベタと付きまくったこのフレーズを、しかしライブハウスを主戦場にコツコツとキャリアを積み重ねて13年、初のホールライブが日本武道館という打首獄門同好会が晴れがましい日本武道館の舞台から「ライブハウス武道館」と発する重みと輝き。
そうだ、ここはちょっとばかり規模の大きなライブハウスだ。
ライブハウスでの打首獄門同好会がそれまでの姿勢を覆すような、ブレるような事があっただろうか?
私の知る限りそれは無い。
観客の予想の斜め上を行くような演出があっても、それまで築いてきたバンドの流れを断ち切るような事はしない。
観客を喜ばせる事を旨として、地に足が着いた楽曲と演奏という極太なバックボーンに支えられて、打首獄門同好会は軸がブレないバンドである。
いつも通りで当たり前だ。
だってココはライブハウスなんだから。
ライブハウスの打首獄門同好会は裏切らない。
いつも通りでない方がおかしいではないか。

「音楽依存症生活」が私の「打首獄門同好会at日本武道館」の口開けだった。
気持ちだけは1階席からアリーナのスタンディングスペースへダイブしていた。

そこから「Breakfast」までの10数曲、正直記憶が曖昧で、正気を失っていたとしか思えない。
あの日のセットリストを見れば一つ一つの曲に対してそれぞれ思い出があるのだけれども、どうにも現実味が無い。
本編の体感時間10分。

ああ、青木亞一人さん宙吊り事件だけは言及しておこう。
私は大澤会長は人一倍明晰な頭脳と大人の行動力を持った精神年齢小学校5年生説を勝手に唱えているのだが、亞一人さん宙吊り騙しの一連で説への説得力が更に増したと考えています。
宙吊りに関しては以上です。

古い曲を演ってもいいでしょうか?と観客に問うてから次の曲として紹介されたのは打首獄門同好会が初めて作った曲「Breakfast」。
その名の通り朝ごはんの事を歌った曲なのだが、若き日の会長・大澤敦史の苦闘が見える曲でもある。
純正ギタリストで歌どころかコーラスも入れた事も無い大澤がボーカルを取り作詞をするに当たって、特に憧れて参考にしたいボーカリストも作詞家もおらず手探りでのスタートだった、というのは各種インタビューなどで本人の口から度々語られている。
初めて作ったというこの曲は、サビ頭の「ぶち込め腹に 朝だ メシだ エサだ 残さず食え」に代表されるように全体に言葉が荒々しい。
おそらくラウドな激しい音楽に乗せる言葉として意識的に選択した言葉なのだろう。
今、同じテーマで歌を作るとしたら音は激しくとももっとマイルドで万人に受け入れられるような言葉の選び方をするはずだ。
しかし今となっては近年に無い荒々しさが却って瑞々しく新鮮に感じられる。
また、理想の朝食の献立を丁寧に挙げ連ね「決まってるだろ」と4回リフレインした後「んな事ぁ勝手にしろ」「んな事ぁ誰が決めた」と一方的に突き放すAメロからサビ前までの歌詞に至っては視点が定まっていない。
理想の朝食を語っているのは誰なのか。
「勝手にしろ」と突き放しているのは誰なのか。
考えれば混乱するが、若き日の大澤は難しく考えずに言葉の勢いそのままに作詞したのだろう。言葉の勢いが程よいグルーヴとなって耳に飛び込んでくる。
これもまた今この曲を作るとなると、ここまでの無茶な視点転換は行われないはずだ。
若々しさ解き放ってるなぁと微笑ましい気持ちで曲を聴き終えた。

「バンドを始めてすぐに朝ごはんの歌を作った我々が今何を歌っているかというと、相変わらずご飯の歌を歌っています。」という主旨のMCを会長がし始めて私ははたと気が付いた。
ご飯=米、次の曲は「日本の米は世界一」だろう。
ライブのトリやトリ前に歌われることの多い「日本の米は世界一」が次ということはこのライブ、最終盤ではないかと。
「日本の米は世界一」の次は多分「カモン諭吉」でライブ本編終了だと。

…いや嘘でしょう。
そんなに時間経ってる?経ってないよ。
人が人の上をゴロゴロしてるのを捌くセキュリティーの人に感心したり、いつもよりゴロゴロの人数多いなって思ったり、人の上をマグロのフロートが6匹跳んだり跳ねたりグランプリを高みの見物したり、新生姜フロートが4本に増殖して怪しい色変化するのに爆笑したり、ドラムの後ろに篝火の演出が出てLEDパネルの心配をしたり、ステージ前に火柱が立って我々のいる1階席ステージ近くは結構熱かったり、たけのこ軍総大将のバックドロップシンデレラ豊島さんが火柱に近づき過ぎててアフロが燃えないか心配したり……あれ?
結構色々あったな…。
ライブ中の出来事を走馬灯のようにグルグルと思い返し反芻しながら指を突き上げ「日本の米は 世界一!」と叫ぶ。

予想通り次は「カモン諭吉」。
打首獄門同好会ワンマンでは定番のエンディング曲だ。
この曲の終盤「カモンカモンカモン福沢諭吉」とコール&レスポンスして全員の心が諭吉で一つになったところにお札(おもちゃ)が降ってくるという段取りになっている。
過去のワンマンでは2階席などとにかく上方からお札(おもちゃ)を降らせていたが、今回の日本武道館は構造上キャットウォークも無いし上から降らせるのは無理そうだなぁ…と思っていると開演前に私が怪しんでいたステージ前の筒の横にスタッフがしゃがんだのが見えた。
そしておもむろに筒の前に紙の束を翳し、手を離した。
一斉に宙に舞い上がるお札(おもちゃ)。
銀テープの発射装置かと思っていた怪しげな筒の正体は超強力な送風機だった。
過去のワンマンだとお札(おもちゃ)が上手く舞わずドサっと落ちるのを見かけていたけれど、今回はそんな事もなく綺麗に宙へ、見上げれば天井近くまで一面お札が舞っている。
あんなバブリーで多幸感溢れる光景は2度とはないだろう。
お札(おもちゃ)はアリーナに降り注ぐがさすがにスタンド席には届かない。
少しさみしいと思っていたら1階席に舞い込んだのを何枚かキャッチしたお隣の席の方が、親切にも一枚譲ってくれた。

そのお札にはあす香さんの顔が印刷されていて、メンバーの顔がそれぞれに印刷された3種類のお札があるのだろうと推察できた。
この時ばかりは少しだけアリーナが羨ましいと思った。
うん。ほんの少しだけだけど。

「ありがとうございました。我々打首獄門同好会でした!」
と曲が〆られメンバーはステージからハケて居なくなった。
客電は落ちたままだ。

打首獄門同好会ライブのアンコールは「最初から!」である。
つまり「あんた達のライブは最高だからもう一回ライブ頭から演ってくれ」と演者に乱暴に投げつけるのだ。
それを受けて再登場した大澤会長が最初からは出来ない消極的理由をザックリとユーモアを交えて述べて「あとちょっとだけやります」と演奏に入るのが通例になっている。
この日の武道館も「最初から」コールでメンバーが再びステージに登った。
が、会長の冒頭のひとことはいつもとは少し違っていた。

「あと少しだけやろうか。」と微笑みながら言ったのだ。

おや?いつになく積極的な。
違和感を覚えた人はそれほど多くなかったかもしれない。
観客がわっと沸く中、おそらく違和感を感じたであろう観客の一人が声を上げた。

「えー!会長、最初からやろうよ!」

その声を切っ掛けに再び沸き起こる「最初から」コール。
なんならアンコールの時よりも大きな「最初から」だったと思う。
会長は明らかに困惑した顔をしていた。
そしていつものように「最初からって亞一人君が騙される発表の所からやんなきゃいけないよ?」と笑いながら消極的理由を述べて再び観客を沸かせたあと、いつものように「はい、あとちょっとだけやりまーす」とギターに手を掛けた。
しかし曲は始まらない。

「夢って、あるじゃないですか。」

こんなひとことから長いMCが始まった。

さて最初に言い訳をさせて貰いたい。
私は抜群の記憶力を誇る訳でも会長のMCをメモしていた訳でも録音していた訳でもない。
ここまでもそうだが、ここから書く事は私の乏しい記憶を継ぎその大意を私が受け止めたままに書くもので正確な記録ではない。
ただ書かねば全て失ってしまうであろう記憶をちょっとでも残しておきたい私の足掻きだ。
そしてノイズの様に混じる私の推論はただの自己満足だ。
その点ご了承願いたい。

「夢って、あるじゃないですか。」

このひとことで観客は大いに沸いた。
叶えられない夢を語る事を良しとせず普段はまったく語らない会長である。
次の打首のプランなりを語ってくれるのでは?と観客は大いに期待した。
しかし期待は裏切られる。
「人間浅い眠りと深い眠りがあって、浅い眠りの時に夢ってみるらしい…」
キョトンとする客席に
「あ、『夢ってそっちの夢?!』って思った?」
フフフと悪戯っぽく笑って会長は、ふわふわと着地点の定まらぬ睡眠と夢の話を続けた。
レム睡眠…ノンレム睡眠…悪い夢…そしてかめはめ波すらも出せてしまうような良い夢…。
「壮大でいい夢を見て起きた時って、その時はもちろん気持ちいいんだけど、また寝たらあの夢の続きを見れるんじゃないかな?と。
そのいい夢、ずっと見ていたい…と。
今、そんな気持ちです。
ありがとう。」
そう言って会長は、深く深くお辞儀をした。

アンコール1曲めは「布団の中から出たくない」。
MVが可愛いとSNSを中心に話題になった曲だが、件の夢のMCの後に聴くとなんだか違う意味に聴こえてくる。
布団の中から出たくない。
このライブを終えたく無いメンバー。
終わって欲しくない観客一同。
この夢を終えたくない。
まだ夢の中にいたい。
布団の中から出たくない。
あの会場にいた全員が同じように感じていたと思う。
しかし時の流れは残酷だ。
楽しい時間はあっという間に過ぎてゆく。

そしてオーラス「フローネル」。


打首獄門同好会「フローネル」

歌の内容をザックリ説明すると「風呂、寝る」。
いつからかライブのエンディングを飾る定番の一つとなったこの曲の大きな特徴はBメロに語りが入る事。
語り部分の台詞は一応決まっているが、その時々に合わせてアドリブが入る。
そしてワンマンライブの時のアドリブは大概長い。
アドリブというよりMCだ。
前回、新木場STUDIO COASTワンマンで演奏された「フローネル」が「冬盤」に収録されているが演奏時間8分30秒と異様に長い。
多分会長の語りが4分ぐらい入ってる。
そういう曲だ。
STUDIO COASTワンマンの「フローネル」では「幸せって…?」と会長が語りに入った一瞬の隙、大変絶妙な間合いで「今だよ!」と1人の観客から声が上がり伝説になった。
そのせいか武道館では1番のBメロ(語り)で「幸せって?」と語り始めた会長に向かい口々に「今だ!」「今だ!」と叫ぶ者達が現れた。
会長は「今、幸せですよ。ありがとう。」とさらりとそれらの声に応えると、でもそれは歌の本筋から離れるから置いておいてといつもの風呂へと向かう台詞を語り歌へ戻る。
と、間奏に入る所で大事件が起きた。
RIZEのベーシストkenkenが間奏入りの一瞬だけスクリーンに登場したのだ。
実はフローネルのMVにも間奏入りの「アォ!」と叫ぶ所で、MVのイラストを担当した芦沢ムネト氏の手により2次元化したkenkenが一瞬差し込まれるシーンがある。
この2次元kenkenは氏への愛とリスペクトを込めた会長の遊び心なのだが、贅沢にもそれを日本武道館という大舞台で再現したのだった。
日本屈指の一流ベーシストにライブ本番用の衣装とメイクを施させ、ベースを背負わせておいて一音も演奏させないというこの贅沢、無駄遣い。
大澤会長とkenkenの友情が武道館出演時間数秒を実現した。
間奏終わりに「あれ?なんかkenkenの声がしたな?まあいいや。」と雑に触れる大澤会長。普通なら本人なり関係者なりに怒られる扱い方である。
ちなみにkenkenは一階東の端に登場したので私はバッチリ近くで生kenkenを拝めました。ありがたや。
さて2番のBメロ(語り)でちょっとした発表があった。
「私事ではございますが、我々打首獄門同好会、およそ1か月、ライブ活動をお休みして春休みに入ります!」
会長が高らかに宣言した時のドラムあす香さんのガッツポーズは、後々まで語り継がれる程に気持ちの良い全力のガッツポーズだった。
ライブ後、楽屋を訪れた四星球ボーカルの康雄さんが「そんなにライブしたくなかったんですか?」と思わず突っ込んだ事を、四星球自らラジオでネタにするぐらいに清々しい、観客から思わず拍手が沸き起こるほどの良いガッツポーズだった。
だがドラムの真ん前に居た会長はその様子に気付くでもなく空を見つめて訥々と言った。
「こんなまとまった休みはいつぶりだろう。少なくともここ一年は無かった。」
「オレ、休みに入ったら、ずっと我慢してた、ドラクエやるんだ。」
その声がふわふわと揺れているのに気が付いてアレ?と思う。
聞き間違いだろうか。
ドラクエが終わったら、ゼルダもやるかもしれない。」
やはり揺れている。
涙は堪えても口から溢れる涙声と数々のゲームタイトル。
1年間気を張って来た大澤会長がもっとも感極まった瞬間に見えた。
「皆さんの貴重な休みの日や仕事帰りの時間を楽しくするのが我々の役目です。今日、楽しかったと思って貰えたら、そしてまた、今日みたいに楽しい気分になりたくなったら、ライブハウスに会いに来て下さい。」
揺れる声で、目一杯の笑顔で語る大澤会長。
武道館の万来の観客を満足させた直後、ライブハウスで会おうという打首獄門同好会
あなた達のそういう所が大好きだ。
初めての大舞台で「次はもっと大きな所で会おう、お前ら付いてこい。」と豪語するバンドは数あれど、約9000人(公式発表)の観客に向かって「次はもっと小さい狭い所で会おうか」というバンドはなかなかいない。
前回ソールドアウトしたキャパ2400人のSTUDIO COASTワンマンの直後にも、キャパ150人程度の小さなライブハウスでのツーマンライブを発表していたっけ。
ライブハウスという場所とライブハウスに集う人々への並々ならぬ愛。
だからまた会いに行きたくなるんだ。
またライブハウスで。

語りが終わって曲に戻る。
「フローネル」最終盤にはメンバー思い思いの幸せな計画を織り込んだ歌詞がある。
今回はその歌詞をメンバーの春休みの計画発表の場に代えた。
会長は「一日中ゲームしてる計画」、junkoさんは「南の島に旅に行く計画」、あす香さんは「温泉行って癒される計画」。
「人それぞれのささやかな計画 気の持ちよう価値観しだいで そこに幸せがあるんだったら」それで良いのだと高らかに肯定するこの曲は、聴く者にポジティブな力を与えてくれる。

全てを歌い終えて「ありがとうございました!我々打首獄門同好会でした!!」そう叫ぶように言った会長とjunkoさんはギターベースを掻き鳴らしながらそれぞれ上手へそして下手へとステージの端から端まで走って観客の歓声に応え、いつもの位置へ戻って曲を〆た。

全ての演奏を終えギターを下した会長は、拍手歓声鳴り止まない観客をバックに記念撮影をする旨伝えると、本日のゲストを呼び込んだ。
男鹿なまはげ太鼓、Dr.COYASS、漁港・森田釣竿、バックドロップシンデレラ・豊島"ペリー来航"渉、アサヒキャナコ、onちゃん(着ぐるみ)、コウペンちゃん(着ぐるみ)(敬称略)。
映像ディレクターチダケイイチ氏は呼ばれると思ってなかったからと号泣しながら登場し、満面の笑顔のVJナマハゲ氏と好対照だった。
kenkenに至っては舞台に上がる直前にスタッフからスッとマイクを渡されたらしく「申し訳ないと思ったんだろうね」と笑っていた。
じゃあコレで全員揃いましたね。という小さなボケを挟んで「今オレが最も世に出て欲しいボーカリスト…親友と言っていいでしょう」と最後に呼びこまれたのは、この一年打首獄門同好会の様々な企画に関わったアシュラシンドローム・青木亞一人氏であった。青木さんは泣いていた。氏を紹介する大澤会長も多分泣いていたと思う。
記念写真を撮るのは打首獄門同好会がバンド結成9か月で対バンしたバンドのギタリストで最も古い知り合いと紹介されたカメラマン浅岡氏。浅岡氏はそう紹介された時「俺のことはいいよ」と言いたげに顔の前で手を横に振っていてこれもまた微笑ましかった。
観客のせせりコール、つくねコールで写真を撮り終えると、バンドメンバーとVJが手をつないで丁寧にお辞儀をしゲストと共にそれぞれ捌けていく。
構造上早く動けないらしいコウペンちゃん(着ぐるみ)がCOYASS先生とペリーさんにアテンドされ上手に捌けているのに気を取られている間に、他のメンバーは大体捌けてしまっていた。
最後に残った大澤会長が、いつものように黒地に赤く「獄」と染め抜かれたバスタオルを観客に向かって掲げた後、舞台下手へ捌けてゆく。
東の座席から下手の舞台袖は良く見えた。
舞台袖で会長を迎えたスタッフが二人、彼の背中をポンポンと叩く様子が見て取れた。その背中は少し小さく、丸まって見えた。

いつも通りな訳が無い。
会長の小さく丸めた背を、ポンポンと叩かれた背を見てハッとした。
いつも演っている数百人規模のライブハウスと、1万人は優に入る武道館がいつも通りな訳が無いではないか。
勢い「ライブハウス武道館」なんて言ってみたが、ワンドリンク代もドリンクカウンターも無い、飲食禁止なライブハウスなんか無いもの。
今思い返してみると、打首獄門同好会は1年を掛けた準備の中で、日本武道館という大きな舞台で如何に”いつも通り”のライブパフォーマンスを行えるかに実に注意深く腐心していたのではないだろうか。
大きな舞台ゆえ小箱ではできないような演出、LED大パネル設置や火器使用、オリジナル印刷のお札巻きなど大規模演出は必須だったろうし本人達もやりたかっただろうし実際やった。
観客を楽しませる為に、これまで打首と関わりのあったゲストも沢山呼んだ。
しかしそれらはあくまでも普段のライブと地続きで無理の無い演出であり、急に陽気なダンサーがメンバーを取り巻いて踊り始めたり、無線コントロールペンライトが配布されたり、メンバーが車の荷台に乗ってフロアを練り歩いたりはしない。
そして全てはバンドの演奏が、音楽がしっかりしていなければ成立しない。
押さえるべき所はしっかり押さえ、演奏は浮き足立つ事なくなるべくいつも通りに。
ライブ本編でのMCがほぼ事前に用意していたであろう内容でフリーMCがほぼ無かったのも、沢山のゲストを捌き進行をスムーズにするのと同時にいつも通りの精神状態を保つため、余計なことをあまり考えないように工夫したのではないだろうか。
それが証拠にアンコールで長いアドリブMCを終えた会長はどこか緊張の糸が切れてふわふわして見えた。
それでも、たとえ最後気持ちが切れ掛けて涙を堪えて声を震わせても、打首獄門同好会会長としての役割を全うするために最後まで気を張って、めいいっぱい胸を張って「獄」と大きく染め抜かれたバスタオルをいつものように掲げて大澤敦史は舞台を去ったのだ。
武道館公演が決まってからスタッフ・メンバー全ての先頭に立って走り続けねばならなかった大澤会長の心身の労苦を思うと胸を突かれ、頭の下がる思いがした。

ライブの間中、大澤会長はしきりに「ありがとう」と口にしていたが、礼を言わねばならないのは私達である。
楽しいライブをありがとう打首獄門同好会
あなた達の大きな節目のライブに参加できて良かった。
また会いに行きます。
またライブハウスで。

 

さて、武道館ライブが終わり日常に戻ったはずの我々打首獄門同好会ファン一同は、その後数日間打首ロス現象に苦しめられていた。
お前だけじゃないのか?とツッコまれそうな主語の大きさだが、あのライブ後1週間は「打首」でツイッター検索すると「余韻が~」「ロスが~」ともがき苦しむ人が一定数観測できたので敢えて“我々”と言わせてもらおう。
我々はロスと余韻とに苦しめられ、「曲を聴くと思い出して泣く…」「聴かなくても思い出して泣く…」「人様のレポを読むとあの日に連れ戻される…」「早よ武道館の円盤を…」「次のライブ早よ…」と口々に呟く体たらくぶりであった。
だがメンバーは春休み。
普段二日と開けず打首獄門同好会公式アカウントからなんらかの情報発信をしてくれる大澤会長は、武道館で撮影された記念写真をアップしたのを最後に1週間近くツイッター上は消息不明になった。

 逆にツイッターアカウントを持っているのに普段ほぼ活用していないjunkoさんは、南の島の写真などを次々投稿し、ファンを大いに喜ばせた。

そしてあす香さんは、ライブ直後から普段以上に謝礼や日常の呟きが増えたため「折角のお休みなんだからもっとちゃんと休んで…」とファンは勝手に心配した。
大きなお世話である。

 ネットを通じて垣間見れるメンバー三人三様の休日を見ては感慨にふけり、日常とあの日の武道館とを行きつ戻りつしつつ、我々もまた緩やかに普通の日常に戻っていく。
そしてあのライブの曲順通りに組んだプレイリストを再生してはホロホロとした気持ちを抱えつつなんとか日常を乗り越える。
また楽しい気分になりたくなったらライブハウスへ行けばいい。
ライブハウスで大好きな音楽を浴びるために、音楽依存症の我々は耳の穴から注いだ音楽を力に変えて、世の憂き事をなんとかやり過ごすのだ。

 

 …充実した春休みのようで何よりです。